日常を綴る雑記ブログ

戦国武将が大好きな十兵衛のブログです。

蔦屋重三郎は「江戸のメディア王」 TSUTAYAとの関係は.....?

 

2025年大河ドラマ主人公、蔦屋重三郎とは・・・?

「蔦重」こと蔦屋重三郎は江戸時代を代表する日本初の出版プロデューサー。ちなみに歴史通の私ですが蔦屋重三郎の事を全然知りませんでした。でも大河ドラマを楽しく見るためには知らないわけにはいきません。 ちなみ結論から言うとTSUTAYAとは関係ありません。ただ、今のTSUTAYAも「本・音楽・映画」などをプロデュース・流通させているという点では、ちょっと“魂”は受け継いでいるかもしれませんね。

彼が活躍したのは安永期から寛政期の約30年間は、町人文化が華開いた田沼意次による田沼時代、そして、これを弾圧する松平定信による「寛政の改革」という、大衆文化にとって激動の時代、蔦重は彼が見出した有能な戯作者や絵師とともに、様々な新しいメディアと流行を作り出していきます。現代マンガの原型となった黄表紙、恋愛小説を生んだ洒落本、描かれた人物の本質にフォーカスした浮世絵。美人画の大家となった喜多川歌麿、大ベストセラー「南総里見八犬伝」を書いた曲亭馬琴滑稽本のジャンルを生んだ「東海道中膝栗毛」の十返舎一九など、無名だった彼らの才能を見抜いたのも蔦重です。彼には時流を先取り企画力、才能を見抜く慧眼、類まれな経営力。そして権力から守り抜いたからこそ大衆文化とエンターテイメントが生まれたのです。そんな蔦重の生涯に迫りたいと思います。

 

蔦屋重三郎の生い立ち

 

生年:1750年2月13日(寛廷3年1月7日)江戸の遊郭、新吉原に生まれる。

両親:父は丸山重助と母・津与。

身分:町人階級。出生についてははっきりした記録がないものの、遊郭の町「吉原」で育ったことが、後の出版や文化への感性に影響を与えたと言われます。

養子に入る:重三郎が7歳の時に両親が離縁し、重三郎は商家だった喜多川家の養子に入る。喜多川家は遊郭内で引手茶屋を営んでおり、屋号は「蔦屋」といった。

津与の影響力

幼少から青年期を吉原で過ごし、しかも茶屋の養子となれば、遊郭で繰り広げられる人間ドラマを幾度も見せられてきた。華やかな舞台の裏には、欲望と金が渦巻き、苦界に沈む遊女たちの悲哀があった。  そんな人間の表と裏が否応なしに蠢く中、母・津与は物事を見抜く眼力と成功への意志力を、重三郎に教えた。

 

吉原で書店「耕書堂」を開店する

吉原細見』の販売で事業をスタート

安永元(1772)年、23歳の重三郎は、吉原大門口の五十間道の左側、蔦屋次郎兵衛の茶屋の軒先を借りて書店を構えた。当初は『薜羅館』としたが、後に『耕書堂』と改めている。この見世が、江戸のメディアを席巻し、後世に名を残す大版元となる。重三郎が最初に手がけたのは、『吉原細見』の卸販売だった。

吉原細見とは、遊女や茶屋、揚屋を絵地図のように紹介した吉原案内のパンフレットで、江戸では老舗の鱗形屋孫兵衛が版元として独占していた。  重三郎がどのようにして鱗形屋の傘下に入ったのかはわからないが、吉原のすべてを把握している重三郎にとって、大門口で書店を構えて遊客を相手にする細見販売は、リスクが低い堅実な商売であった。  大手版元の鱗形屋なら、後ろ盾としても堅い。この選択が、重三郎の運命に大きな影響を与える。

貸本屋として太い人脈を作っていく

並行して営んでいたのが、貸本業だ。当時の書籍は高価であり、庶民は専ら貸本を利用した。書店としては、本は売るより貸したほうが日銭を稼げた。  貸本屋として回る重三郎の商圏は、当然、吉原だった。茶屋や揚屋に出入りすることで、吉原内の情報は容易に入手できる。 遊客の中には大名や大店の旦那、地方の豪商も多かった。さらに吉原の情報通として名を売れば、太いパイプを持つ人脈を作ることも可能だ。細見売りで終わるつもりのない重三郎にとって、貸本業はうってつけの商売だったのである。

読みやすい『吉原ガイドブック』でライバルを圧倒

弱小本屋がいきなり出版社になった

鱗形屋の傘下で「吉原細見」が刊行されていたが、「一日千本」は蔦屋重三郎が版元として初めて出版した作品である。安永4(1775)年、重三郎は突如として、吉原細見『籬の花』を版元として刊行することとなる。もともとは、軒先で細見を販売する小規模書店にすぎなかった蔦屋が、開業からわずか2~3年で自ら出版を手がける版元にのしあがった背景には、ある特別な事情があった。鱗形屋は、手代による盗作事件に巻き込まれたため、吉原細見の刊行を断念せざるを得なかったのである。これを好機と見た重三郎は、鱗形屋に代わり自ら版元となって『籬の花』を出版したのであった。

 

今後の大河ドラマの見どころ

今年の大河ドラマでは、果たしてどこまで彼の出版人としての野望と人間ドラマが描かれるのか?歴史の教科書には出てこない「江戸のカルチャー革命」をどう演出してくれるのか、今から楽しみです!
あなたは、蔦重のどんな一面に注目していますか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鎌倉殿の13人 第1回 大いなる小競り合い

第1回あらすじ

平安時代の1175年、平清盛が時の大権力者として君臨していた。北条義時は伊豆で、兄・宗時、姉・政子とのんびり暮らしていた。そんな最中、流罪人・源頼朝が義時の幼なじみ八重と恋仲になり、男の子が生まれたのだ。清盛から頼朝の監視を任されていた八重の父・伊東祐親は激怒する。頼朝が姿をくらます中、北条氏にも捜索命令が下る。

幼なじみの八重が頼朝の子を身篭り複雑な義時

幼なじみの八重が頼朝の子を身篭り自分の事を好きだったかもしれないと思っていた義時は落ち込む。 八重は詳しいことはあまりわかっていない人物だけども、ドラマでは頼朝の最初の妻で義時の初恋の相手見たい。 この時代は結婚なんて家と家のつながりでするものでお互いが好きとかでするものではなく恋なんてこの時代することなんてほとんどないとは思うんだけども、ドラマでは三谷幸喜さんの脚本ていう事で面白く描いてほしいと思う。

兄は平家嫌いなため捜索命令を無視して頼朝側につく 

兄の宗時は私利私欲を肥やす平家が嫌いで頼朝の捜索命令を無視して頼朝側につくと言うのだが、義時はいまいち納得いかない。そういう設定はドラマではありがちなんだけど、実際は頼朝に味方して平家を滅ぼせば北条氏も今より勢力拡大できると思って頼朝側についたんだろうなと思う。

姉の政子は頼朝にぞっこんに

北条政子は頼朝にぞっこんという設定はドラマではありがちなんですが、これは少しは信憑性のある話ではないかと思うのです。ただ政子は嫉妬深い性格で他の女性が子を身篭ると暴れたとか、家を襲撃させるとかいうエピソードもありますから二人の夫婦仲はそんなに良くなかったのかもしれません。でもこの時代は一夫多妻が当たり前で政子は自分に地位が正室としてはそれほど高くないため自分の地位を高めるために他の女性を排除したかったというのが真実なのかもしれません。

時政を説得し平氏打倒へと動き出す

宗時は時政を説得し平氏打倒へと動き出す。 頼朝の子を身篭っている八重にも頼朝とはもう時期会えると説得するが、納得いかない八重、昔話などもするが義時は複雑な心境だが自分の事が好きだと気づいていない八重。ちょっと切ない気もした。

平氏打倒の本気度が感じられない頼朝に義時は・・・

八重との事がありながら、政子と双六を楽しむ頼朝に源氏打倒の本気度が感じられないと義時は訴えるが、それが頼朝を本気にさせる。伊東祐親を殺せと部下に命じるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

        

 

 

ラジエーションハウス 第4話 感想

唯織たちが働くラジエーションハウスにたまきの母、るり子がやって来るんだけどたまきを演じる山口紗弥加さんが40歳で母のるり子を演じる中田喜子さんが70歳の役を演じているのを見て山口さんとは自分も年齢が近いし、親の年齢も65歳くらいなので自分も歳とったな感じたんだけど、 ドラマの内容はまだ結婚しない娘に母親が結婚相談所を進めるっていうありきたりの話なんだけど、さらにローンで購入したマンションでぎっくり腰を起こしたりして、一人では不便だと思いつつも、孤独死まっしぐらだと言う母親を余計なお世話だと感じてしまうこともあるし。るり子も腕が痛いので、みかん畑は引退するという。 老い先短くなって身体が不さ自由になっちゃうと娘の将来が心配になっちゃう気持ちもわかるなとは思う。 そんな時にたまきさんとは正反対とか言っちゃうと差別的になってしまうんだけど、元パティシエで夫は弁護士で今は2人の子供の育児に専念している堀田成美が夫の誠司に付き添われて救急搬送されてくる。杏は成美のレントゲン写真を見て人より腸が長いので便秘だと判断、しかし、唯織は便秘の一つに大腸がんがあるので念のため検査したほうが良いと進めるというこのドラマではありがちなパターンなんだけど、一度目は時間もかかるし、断られる。 まあ個人的にも過度に詳しい検査をしてもお金もかかるし、時間がもったいないとは思う。安心を買いたい人はやれば良いと思う。 その後、たまきさんのお母さんとみんなで飲みに行って、うちのたまきをもらってくれる人はいませんかーとか言ってみんながしらける。さらにたまきさんが親不孝だと言うところは感心した。僕は結婚していなくて親不孝だと思った事はなかったから。そしてたまきさんのお母さんが倒れる。結果は大事にはいたらなかったがみかん畑での仕事が原因ではないかと告げられる。 たまきさんのお母さんが病室でわたしは花嫁姿をみたいわけでも孫の顔みたいわけでもない 夫も亡くなり一人で生きるのは暇だと言っていたのが印象的だった。 暇とはどう言う事だろうか....? やはり人間はだれかを助けたり、支えたりすることでいきがいを見いだせるという事なのだろうか。 たまきさんが結婚なんてなんのメリットもないし、自分の時間を奪われてるだけだと思ってたと言うところはとても共感した。僕自身も昔はそういう考えだったから。でもいざ結婚しようと思っても年齢の壁にぶち当たるだよなと実感している。 ドラマも終盤にさしかかり簡易的な検査だったら受けてもらえると思い大腸の3D検査を提案する。検査自体も10分程度済むと言うが誠司には反対されてしまうが、たまきは検査をせずに不安かかえているよりも検査をして異常がないとわかったほうが健康で安心して暮らしていけると言う。検査は病気を見つけるためだけにあるのではないと安心を買うためにもあると言う。 それはあるだろうね。僕もまだ若いけど人間ドックを毎年受けていたら安心だもん。 結果は問題はなかったので誠司には無駄な検査をして診療代を荒稼ぎしつるんじゃないかとか言われてしまうがるり子が無駄な検査なんかじゃないこれで毎日、安心暮らせるだからと言う。 まあつまり娘は良い病院でやりがいをもって働いていてそれが幸せなんだと思うってことなんだろけど 最後にたまきも母親に仕事にやりがいもっているので幸せだと伝えて母親もたくさんの仲間に囲まれて幸せなんだろなと納得して帰るという結末でしたが、現実的には母親はそう簡単には納得しないよねとは思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

大河ドラマ 徳川慶喜 第1回  「母の不在」

第1回あらすじ

徳川慶喜、幼名・七郎麿は1837年に徳川家水戸藩主・斉昭の七男として江戸・水戸藩邸で生まれますが、生後まもなく水戸へ移されて実母の顔を知らないまま育てられます。1844年、父・斉昭は藩政改革を進めますが幕府から謹慎処分を受け、長男・慶篤が10代藩主となります。知らせを聞いた実母の吉子は七郎麿を不憫に思います。

斉昭は藩政改革を進めるが幕府から謹慎処分を受けてしまう

慶喜は生まれてまもなく江戸・水戸藩邸から水戸に移されて、実母の顔も知らずに学問を叩き込まれる。そんな中、斉昭は慶篤と共に江戸に出向を命じられます。幕府は藩政改革を行う斉昭を嫌い隠居謹慎処分を受け、長男・慶篤が10代藩主となります。

斉昭が隠居謹慎処分を受け大混乱の水戸藩

誰かが裏切ったのではないかとか家老がこのような事態なのに妙に落ち着いていて、それが気に入らない家臣団、七郎麿は父上が斬られるのではないかと心配する。女中はそんなことはないと言う。

家臣は一大事だと七郎麿に言及する

まだ、幼い七郎麿は事の重大さがわからない。家臣は必死に斉昭が隠居謹慎処分というのは一大事であり、藩政改革を嫌う者の陰謀であると七郎麿に言及する。その言葉に七郎麿は幼いながらに考える。

第1回 「母の不在」を見た感想

生まれてすぐ母親から引き離され、父が隠居謹慎処分を科せられ、強く成長していく過程が描かれていた。主演の本木雅弘さんはまだ出てきません。青天を衝けで徳川慶喜が出ているので気になって大河ドラマを見てみました。

 

 

 

 

 

 

第29回 栄一、改正する

第29回あらすじ

明治政府に出資した栄一は各省の垣根を超えた改正掛を立ち上げ、杉浦や前島を静岡から呼び寄せる。改正掛は租税の改正、貨幣や郵便制度の確立など、新しい国づくりに邁進するが、旧幕臣の活躍をよく思わない者との対立が生じてしまう。そんな中、栄一は久しぶりに惇忠に再会する。

改正掛の立ち上げに乗り気の伊藤博文大隈重信

栄一は各省庁の垣根を超え、改正掛を立ち上げ、足りない人員は各省庁から兼務とし、さらに静岡藩から人材をさらに増やしたいと言う。さらに、問題なのは経済や外交などの新しい知識を持つ者が新政府にはいないのが問題だと言う。異国帰りの旧幕臣はたくさんいると言うと、それに対して大隈重信は反発するが、伊藤博文は栄一の提案に賛成する。藩や藩主ももう不要で旧幕臣でも経済や外交に精通するものがいればどんどん登用すべきだと、さらに年寄連中のうだうだした話し合いも時間も手間もかかって全然新しくないと言う。大隈もその意見に賛同した。栄一は新政府にも柔軟な考え方ができる人間がいるんだと感心した。

伊藤様や大隈様みたいにうまくいかない新政府の役人たち

こうして民部省内に改正掛が設置され、栄一は大蔵省に勤めながら、その掛をまとめることになった。しかし皆が大隈重信伊藤博文のように話が通じるわけではない。旧幕臣の活躍が面白くない大蔵省官吏の岩倉藩士・玉乃世履を筆頭にほかの者たちも不満を口にする。さらに渋澤は静岡から有能な人材を登用しようと杉浦、前島を呼び寄せる。新政府に一人も知己いなかった栄一にとって、杉浦たちの存在は心強い。

静岡藩の人間が加わり、改正掛会議が行われるも・・・・

「飛脚」、「戸籍」、「殖産」、「電信」、「鉄道」、など皆の意見をとりかわしました。しかし会議の後、元幕臣の、それもまだ三十そこそこの若者が高位の役職に就けたというので、不満を持つ官僚たちが大隈の執務室を訪れた。中でも栄一の部下になった玉乃は怒り心頭である。栄一が旧幕でしかも百姓あがりというのが気に入らない。そんな時、栄一が部屋に入って来た。これまで日本になかった制度や期間を作り出すのだから、寝る暇もないことは想像に難くない。報告を終えると同時に一礼すると、栄一は慌ただしく出口にむかった。大隈が返事をした時にはもう部屋に栄一の姿はなかった。

改正掛で戸籍法案、度量衡国際基準化、東京横浜間測量など、次々と法律を改正へ

明治3年になり改正掛では、戸籍法案、度量衡国際基準化、東京横浜間測量、蚕卵紙鑑札交付など、次々と皆のアイデアを実現し、実行していった。そんな中、前島が「飛脚便」の案と「鉄道憶測」を持ってきた。「鉄道憶測」は鉄道を開設するのにどれくらいの経費がかかり営業収入が見込めるかをまとめた収支計算書である。しかし、金が2000万かかるという。さらに、官で養蚕のことを一番知っているということが伝わり、その仕事も任されます。

大久保利通のお怒りを買う栄一

栄一たちの八面六臂の働きぶりを目の当たりにして、先に反対した者たちも認めざるをえなくなってきていた。そんな時に大隈の元に大久保利通がやってくる。旧幕の活躍が気に入らない利通に大隈は穏便に事を進めようとするがうまくいかない。言われぱなしで我慢ならない栄一は口を挟んだ。しかし、所詮は下っ端の役人だけに大久保の怒りを買っただけであった。さらに五代がおれば旧幕になど頼らないと言う。五代は大阪経済の救世主といってもよく、何やら面白くなく一方的に敵対心を燃やす栄一であった。

前島、郵便の父へ! しかし大隈様が民部省を追い出される

前島の計算ではいまの飛脚の価格より安くなると言うのです。そして前島は飛脚をあたらしく「郵便」という名前にして「日本の郵便の父になる」と宣言していた。前島はエゲレスは実際にどのように行われているのかについて研究に旅立ちました。前島のいない間は杉浦が担当することになりました。やり取りしているところに伊藤博文がやってきます。大隈が民部省を追い出されたと言います。 大隈は改革を嫌う保守派に嫌われていたのです。栄一は怒りますが、しょせん下っ端の役人ですから上の命令には従うしかありません。落ち込んでトボトボと帰ると、惇忠がやってきていました。栄一は蚕に詳しい惇忠が新政府に来てくれないかと言いますが、仲間を新政府に殺された俺が新政府に協力するということは裏切りなのでそれはできないと栄一に言いました。しかし、栄一は戦が人をおかしくするだけであり一人、一人は悪くないので仲間に顔むけできなくても自分が国を救えるならなんだってすると主張する。

玉乃が力を合わせたいと栄一の元へ

玉乃は栄一の仕事ぶりはすごいので無礼な事を言って申しわけなかっと謝罪し、力を合わせたいと言ってくれました。栄一は玉乃が清廉潔白な人物であったことに嬉しくなりました。さらに惇忠が来てくれました。栄一は惇忠をフランス人技術者のブリュナを引き合わせました。

 

ついに郵便が開始へ

伊藤博文メリケンの出張が必要だと栄一に語っていると大蔵少輔になったという井上馨が居た。栄一の上司になるようだ。さらに明治4年ついに新式郵便が開始された。杉浦と栄一は手紙が届いたことを手を取り合って喜び合います。そして栄一は静岡の慶喜に手紙を送ります。慶喜は手紙を微笑みながら読みます。

第29回「栄一改正する」を見た感想

栄一の身分とか立場とかを気にせず、ただ国を発展させたいという志に感動した。さらに戦争は何も生まず、お互い傷つけ合うだけだとおもう。仲間に裏切り者だと言われても国を発展させたいという志に感動した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

青天を衝け 第28回 篤太夫と八百万(やおよろず)の神

第28回あらすじ                 

新政府から大蔵省への出仕を求められた篤太夫は直接断るため東京へと向かう。篤太夫は辞任を申し出るが大隈重信はなぜ新政府に君が必要なのかを立て続けに話し、篤太夫は完全に言い負かされる。一方、徳川慶喜はようやく謹慎を解かれ宝台院を出た。慶喜は自分の事は気にせず日本の為に尽くせと篤太夫に最後の命を下す。

太夫の活躍は新政府の間でも噂され・・・

太夫の作った商法会所は多額の利をもたらし、その名は新政府の間でも噂され、新政府から大蔵省への出仕を求めれたが気が進まない。しかしその命が慶喜も推しているため、直接、断れば角が立たないと考え大蔵省の大隈重信の宅に向かう。 大隈は篤太夫に「新しい世をつくりたいと思ったことはないか」と問いかけます。フランスで学んだ知識を静岡藩の為だけでなく日本のために使ってほしいと。出資を断りにいったはずが完全に大隈に言い負かされてしまいました。

静岡に帰って千代に大隈とのことを報告する篤太夫

出仕を断りに行ったはずが、言い負かされてしまい篤太夫は大隈からすぐに家族を連れてくるように命じられたことを千代に報告します。さらに東京で喜作の消息がわかったことを伝えます。箱館戦争後に東京に投獄されていて、本人は打ち首の覚悟もできているのだろうと。

慶喜は篤太夫に最後の命を下す

太夫慶喜を訪ねました。慶喜は絵画や碁を楽しみ静かな日々を送っていました。新政府はすぐになくなるだろうと慶喜に伝えます。まず、第一に人材不足で島津や毛利の殿様に力がなく、世間知らずの公家や田舎侍や成り上がり者が威張るばかりで将来性がないので静岡藩で力を蓄え機会を伺うべきだと言いました。しかし、慶喜は静岡には岩倉具視密偵が多く紛れていて徳川が朝廷に恭順しているように見せかけ、陰謀を企てているかもしれないと疑っているが自分にはそのあ気はないことをはっきりと伝えます。さらに八百万(やおよろず)とは言わずとも、多くの者が力を合わせなければ国はひとつにはならないと。さらに篤太夫に大蔵省に行きたいと思っているのだろうと・・・なら自分の事は忘れて新政府で腕を振るえと最後の命を下す。

太夫から栄一へ

太夫士分になった際に平岡につけてもらった篤太夫を返上し元の名に戻したいと・・・。すると、慶喜は篤太夫に尋ねます。栄一だと言うと慶喜は遠い過去を振り返ります。二人の主従関係が終わった瞬間でした。

栄一は新政府で力を発揮する事で徳川の意地を見せたいと決断!

静岡に帰った栄一は杉浦に言いました。「新政府で力を発揮することで徳川の意地を見せたいと。」その言葉に杉浦も納得しました。さらに常平蔵(旧商法会所)の者たちも自分たちも静岡を盛り上げていくので心配ないと送り出されました。

新政府に出仕した栄一だが・・・

こうして新政府に出仕した栄一でしたが、皆が一生懸命働いていることはわかるが、5年先、10年先、100年先を考えている者が誰もいないとすぐ破綻してしまうので大蔵省に優秀な人材を集め改正掛を設けるべきだと岩倉具視に伝えます。そこに慌てて伊藤博文がやってきます。栄一は大隈がいたことから大蔵省だと思い込んでしまっていたのです。伊藤は栄一を会場から連れ出します。

第28回を見た感想

栄一と慶喜の主従関係がなくなり、それぞれが新しい道を歩み始めたと思うんだけど・・・慶喜の隠居後の生活とか個人的に知りたいと思っていたので、それがこれからも描かれると思うのでその辺は楽しみかなあ・・・ 後、栄一が日本を発展させていく過程とか。98年の大河ドラマ徳川慶喜では大政奉還後は描かれなかったのでその点では対照的なんだよなあ。 大隈さんとか伊藤さんとか正直あんまり興味がない。なんか偉そうにふんずりかえってる感じなんだもん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

青天を衝け 第27回 篤太夫、駿府で励む

第27回あらすじ

太夫(栄一)は駿府藩の勘定組頭を命じられるが、お受けできないと言う。水戸藩徳川昭武のことを思って辞退するというのだ。しかし、この命が徳川慶喜の配慮であると聞かされ、駿府に残る決断をする。 篤太夫はパリで学んだ知識を生かし、武士と商人が力を合わせて商いを営む「静岡商法会所」を設立。駿府藩の財政改革に乗り出す。一方、箱館では従兄である成一郎や土方歳三らが新政府軍を相手に抵抗を続けていた。

太夫(栄一)は勘定組頭に命じられるが・・・・

太夫は勘定組頭に命じられるが辞退するという。水戸にいる昭武のことを思ってのことだ。しかし、この命が慶喜の配慮であるということを知り、駿府に残る決断をする。しかし、勘定組頭は辞退するという。余生は百姓か商いをしたいと言う。

藩の財政事情を目の当たりにした篤太夫(栄一)は勘定奉行に!

駿府藩は、新政府から与えられた太政官札の53万両のうち、28万両を使っており、今後新たな収入が入る見込みもありませんでした。篤太夫は禄を得られず働く幕臣と商人を集めました。ヨーロッパで見た銀行や合本組織をここで作れば、お金が周り始め経済が動きだし皆が豊かになると説きました。それには武士と商人が共に働く必要があり、商人は御用金を支払ったので意欲はありませんでしたが、太政官札の残りの25万両を預けてもらいたいと説きます。しかし、武士は商人と共に働くのを嫌いましたが、その後も説得を続け、1869年に静岡商法会所を設立。

太政官札を正金に交換しに東京(江戸)へ!

太政官札は商人たちからの信頼がなく買い付けや貸し付けができないため、正金に交換しに東京の三井組事務所に向かう。そこの番頭に手数料として2割を手数料として取られてしまう。しかし、買い入れの元手としては十分だと思い篤太夫は肥料屋に向かいました。肥料の品定めをしていると薄汚れた男に出会い、会話の中で五代という名前に聞き覚えがありました。幕府がフランスから借款が不成立になった時に名前があがった人物です。慌てて追いかけましたが五代の姿はありませんでした。

太夫の志が武士と商人の心を動かし・・・

商法会所では、武士と商人たちが不満を抱えた状態で働いていました。篤太夫は武士は刀を捨て、そろばんを覚え、商人は金だけ儲ければ良いのではなく道理に背くことがあってはならないと!武士も商人もくだらないプライドを捨て、互いの良いところを認め合い働こうと!すると川村恵十郎は刀を置き商人に教えをこいました。すると、他の武士たちも刀を置き商人に教えをこいました。

箱館では旧幕府軍が新政府軍に最後の抵抗を・・・

商法会所が軌道に乗り始めた頃、旧幕府軍は新政府軍に抵抗を続けていました。篤太夫は喜作のことを心配していました。土方歳三は喜作に「お前は生きろ」と言い残し戦死します。さらに、永井や榎本らが投降して全ての戦が終了しました。

五代才助は記事を読み篤太夫の存在を知るが・・・

その頃大隈重信の家に伊藤博文が訪ねていました。。大隈、伊藤は新政府が勝利したことを喜びます。これで我々が政府だと堂々と名乗れると。この日は五代才助も大隈の家に招かれいました。大隈はエラールからの手紙を五代に見せます。そして新聞記事には「駿府藩は今、商人と組んでよく利を取ると聞く。」この男の仕業らしいと。五代才助はその記事を読んで篤太夫の名前を覚えるがそれが肥料屋で会った男とは知るよしもなかったのでした。