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麒麟がくる 第9回 みどころ 光秀の妻である煕子とは・・・?


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 こんにちは!

第9回では後に光秀の妻になる煕子が登場します!
煕子とはどのような人物なのでしょうか・・・?今回はそれについて書いていきたいと思います

 煕子とは・・・

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 旧姓は妻木煕子といい、生年不詳ながら1530年頃に長女として生まれたといわれています。残されている史料が極めて少なく、その実情はほとんどわかっていません。その理由は簡単で明智光秀が謀反人であり敗者ということもあり、明智家に関する史料がほとんど残されていないからです。

父親は妻木広忠・・・?

 妻木氏は明智家と同様に土岐氏の一族であり、煕子の父親と伝わる妻木広忠は光秀の叔父と伝えられこの説が正しければ二人は従妹同士ということになります。しかし、現存してる史料が信憑性が低いため二人が親戚関係であった可能性はありますが従妹同士であったかどうかは正直わからないそうです。

婚姻時期は・・・?

 はっきりとした婚姻の時期はわかりませんが一説によると1545年頃に15歳で婚姻したといわれています。この説を採用すると煕子の生年は1530年だということになりますね。

天然痘に罹り煕子の顔に痕が残ってしまった・・・?

 光秀との婚姻前に煕子は天然痘を患い顔に痕が残ってしまったといわれています。憂慮した父の妻木は外見がそっくりな芳子という娘を身代わりに出すのですがそれを見破った光秀は「自分の妻は煕子と決めている」と言い気にせず妻に迎え入れたとされています。

浪人で無収入同然となった光秀に煕子は・・・

 浪人で無収入同然になった光秀でしたが、ある時連歌の会を主催するのに接待費が無いのに悩んでいました。すると煕子は自分の黒髪を切り落とし、それを売って宴会費代を工面したいわれています。光秀もそんな煕子の計らいに感謝し、生涯を通して側室や妾を抱えることはなかったそうです。

そんな純愛を貫いた二人にも別れが・・・

 お互いを思いやり純愛を貫いた二人にも別れが訪れます。光秀が重病で倒れて煕子は付きっきりで看病したのですがその看病疲れが元で煕子は亡くなってしまったのです。一説によれば46歳で亡くなったといわれています。